研医会通信 57号   2010.11.10    

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2010年  教育文化週間 イベント  

2010年教育・文化週間 展示会 「解剖図と人体図の本」 (本の展示会)  

―江戸から明治にかけての挿絵のある医学書紹介―  

この催しは終了いたしました。ご来場、ありがとうございました。

  「解剖図と人体図の本」展示会: 11月8日(月)〜17日(水) 開催中。(11・13・14日はお休みです)

 研医会図書館では、昨年より、文部科学省の教育文化週間にあわせて本の展示会を行っております。

 今回は、解剖図や人体図のある本の展示です。西洋医学と東洋医学の本をとりまぜて並べてありますので、東西の医学を比較なさってみてはいかがでしょうか。

日程:   11月8日(月)〜11月17日(水)
開催時間:   9:00〜17:00
開催場所:   中央区銀座 5−3−8 財団法人研医会図書館
交通:   東京メトロ銀座駅 徒歩5分 ソニー通り  
対象:   どなたでも
入場料:   無料  (眼科受付よりお入りください)
主催:   財団法人 研医会
問い合わせ先:   研医会図書館  e-mail: ken-i-kai@nifty.com

 

 2010年秋 展示本のリスト 

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著者・編者
書名
和暦
西暦
 1 アンドレアス・ヴェサリウス原著

VESARIUS

  1543
 2  

馬之薬飼并針之書

天正16年 1588
 3   銅人鍼灸図経 (正徳版) 正徳年間 1711−1716
 4 山脇東洋 蔵志 宝暦4年 1754
 5 伊良子光顕 外科訓蒙図彙 明和6年 1769
 6 レムメリン:原著 本木良意:訳 和蘭全躯内外分合図 (写本) 安永元年 1772
 7 クルムス:原著 杉田玄白:訳 解体新書 (解体図) 安永3年  1774
 8 二宮彦可 正骨範 文化5年 1808
 9 和久田叔虎 腹証奇覧翼 (乾坤) 文化6年 1809
10 三谷公器 蔵府真写 解体発蒙 文化10年 1813
11 大槻玄幹 泰西外科収功 (上・中・下) 文化11年 1814
12 中伊三郎 解体新書銅版解剖図 クルムス解体譜 文政9年 1826
13 合信(ホブソン) 全体新論 安政4年 1857
14 松村矩明 虞列伊氏解剖図譜  明治5年 1872
15 高木玄真 解剖摘要図 明治9年 1876
16 今田束:講義  小川操:写 内臓学消食器図・内臓図 (写本) 明治16年 1883


 

1.VESALIUS(ヴェサリウス) (原著『ファブリカ』 1543年)   リストへ 

 

  原著者:  アンドレアス・ヴェサリウス
 

 神聖ローマ帝国下のブリュッセルに生まれたヴェサリウスは、祖父が宮廷の侍医、父も皇帝の薬剤師として勤めたことのある、医者の家系の人であった。リューフェン(現ベルギー)、パリ、ヴェネツィア、パドヴァの大学で医学や解剖学を学び、その後、外科学と解剖学の教授としてパドヴァ、ピサ、ボローニャなどで教えたが、1538年、"Tabulae Anatomicae Sex" 1539年"Institutiones Anatomicae"を出版した。解剖図は画家によって描かれた。1543年、30歳のとき、7巻からなる『ファブリカ』("De humani corporis fabrica"=人体の構造)を発表。名著として広まり海賊版も作られたという。

 

 


 

2.馬之薬飼并針之書                         リストへ

 

 

  天正16年(1588)
   馬の体について書かれた本で、天正16年に書写されている。天正16年というと豊臣秀吉の時代で、前年に聚楽第が完成し、この年には刀狩令が出されている。戦いの中で、馬は貴重な戦闘の具となっており、その健康にも心が配られていたのであろう。
 挿絵には馬のツボが赤い点で示され、灸をすえたり、針を刺すなどの治療が行われたらしい。春、夏、土用、秋、冬の五季それぞれに飲ませる薬も指定している。




3.銅人兪穴鍼灸図経                        リストへ

  正徳年間(1711年〜1716年)復刻
王惟一(987?-1067): 原著編纂
    宋代、朝廷の命を受けた王惟一は、『明堂孔穴』を校訂し、『銅人兪穴鍼灸図経』を編纂した。天聖5年(1027年)再び命を受けて、針灸兪穴銅人模型二体をを鋳造して等身大の模型に経穴を示し、学習する者の便宜をはかった。
 この書で定められた経穴数は 354で、今日でもその基本は踏襲されている。この和刻本は明代の元号、正統8年(1443)の序文がついている。ツボには詳しいが、内臓の図は一枚のみで、東洋医学の関心が内臓の形にはなかったことがわかる。



4.蔵志                                リストへ

  宝暦4年(1754年)   山脇東洋(1705−1762):著
   山脇東洋は、理論よりも実践を重視する古医方を学び、延享3年(1746)には唐代の医学書 『外台秘要方』 を復刻した。動物の解剖を経た後、宝暦4年(1754)、京都所司代の許可を得て死刑囚の解剖をし、その成果をこの『蔵志』に著した。京都の医師たちは伝えられるオランダ医学を積極的に検証したといわれるが、その名声は『解体新書』を翻訳した江戸の杉田玄白らに奪われることになった。




5.外科訓蒙図彙 上下                      リストへ   

  明和6年(1769年)   伊良子光顕:著
    『外科全書』(1575)を書いたフランス国王の侍医アンブロワズ・パレは近代医学の父とといわれるが、江戸時代の長崎にはこのパレの本がもたらされていた。楢林鎮山(1648−1711)はこの本をもとに『紅夷外科宗伝』を著し、その影響を受けて、この『外科訓蒙図彙』も成立したようである。この本の最初は「腹腋之部」からはじまるが、ここに山脇東洋の『蔵志』に大腸と小腸の区別がないと批判している。また、自らも平戸島で解剖をしたと述べている。金創を説明した挿図には西洋人風の人物が描かれる。




6.和蘭全躯内外分合図  (写本)               リストへ

  安永元年(1772年)   原著: レムメリン  訳: 本木良意(1628−1697)
  まるで、現代の子供向けの絵本のように仕掛けを使って人体の様子を説明している。翻訳をした本木良意はオランダ通詞で、長崎出島にてオランダ医師からレムメリンの著作『人体折畳図』(原著はドイツ)を入手し、その翻訳を手がけた。各内臓の形に切った紙片を重ね合わせて、恰も人体の中を順々に観察するかのようにしてあり、苦心しているが、医師でない良意が訳語を考えるのはさらに難解だったであろうと思われる。


                  
7.解体新書(解体図)                       リストへ

  安永3年(1774年)  原著: クルムス  訳: 杉田玄白
   わが国における西洋医学の発展に大きな衝撃を与えた、とても有名な本。漢文で書かれた本文とこの解体図の5冊でひと組となっている。 原著は1772年にラテン語で書かれたクルムスの解剖書である。玄白とともに翻訳をした中川順庵は出島の商館長にこの本とカスパルの解剖書を見せられて、これを玄白に知らせ、玄白は小浜藩に頼んでこれを入手したという。初版には誤訳が多く、『重訂解体新書』として文政9年に再版されている。

 



8.正骨範                              リストへ

  文化5年(1808年)   二宮彦可(1754〜1827): 著
   日本初の整骨医書とされる本。著者の二宮彦可は周防守家藩医の子で、長崎の医家・吉雄耕牛の弟子。耕牛は武術家・吉原元棟の接骨法もとりこんでいた。この元棟は厳芸員や陳元賛という中国人に学んでおり、これと吉雄流外科の救急法と包帯術を併せて『正骨範』が編纂されている。図を使って整骨法を解説し、薬方も併せて紹介しており、整骨医の教科書として受入れられた。中国と西洋の双方の医学知識がまとめられている本といえそうだ。



 
9.腹証奇覧翼 初編                        リストへ         

  文化6年(1809年)   和久田叔虎:著 
   腹証を細かく観察するということは、日本の漢方医たちの特徴であるという。大塚敬節は読むべき漢方の書物のひとつに、この『腹証奇覧翼』を挙げている。著者の和久田叔虎は『腹証奇覧』を著した稲葉文礼と浜松で出会って大いに意気投合したというエピソードがある。本書の中の図は方剤の名と腹証とを合わせて異常の見られる部位を示して、診断の助けとなるよう工夫されている。漢字すべてにカナがふってある、読みやすい本である。




10.蔵府真写 解体発蒙  巻1−巻5             リストへ
 

  文化10年(1813年)    三谷公器(1755-1823): 著 
    伝統の漢方の考え方と新しい解剖学の知識を折衷しようとした漢蘭折衷派の三谷公器は、本書の序文によれば、小野蘭山(1729--1810)の弟子で本草学や博物学に詳しく、自らも解剖を手がけた人物であったらしい。本書の内臓を観察した図は鮮やかな着色がほどこされ、詳細な観察が文章にても書き込まれるが、その考え方は中国古来の考え方が元になっている。書名の頭には、「蔵府真写」とあるが、まさにその名のとおりの本である。




11.泰西外科収功  上・中・下                  リストへ 

  文化11年(1814年)    大槻玄幹(磐理):著 
   江戸時代、仙台では積極的に西洋医学の摂取がなされ、大槻玄沢、大槻玄幹、佐々木中沢、小関三栄、高野長英といった面々が輩出している。著者の玄幹は、大槻玄沢(1757−1827)の長男で、磐渓の兄。蘭方医として幕府で蛮書和解御用などを勤めた人物。長崎で中野柳圃に学び、それを江戸に伝えた。包帯について詳述するこの本は、上巻と中巻で包帯の捲き方を文章によって記し、下巻ではその図を示している。



12.解体新書銅板解剖図 クルムス解体譜            リストへ

  文政9年(1826年)    中伊三郎:著 
   杉田玄白著『蘭学事始』によると、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵の三人は明和8(1771)年3月4日江戸小塚原刑場で行われた人体腑分けの実際に立ち会ったという。その折、玄白はクルムスの解剖書の蘭訳本の解剖図を持っていたが、その絵が実際の人体と似ていることに驚き、この書を翻訳したいと強く願ったようである。中伊三郎は幼い頃の火傷で手指が不自由であったが、中天游に指導されて絵や銅版画の技術を習得、多くの解体図を手がけた。



13.全体新論                             リストへ   

  安政4年(1857年)    合信(ホブソン): 1851年 原著
   ホブソンはイギリスから中国へ派遣された宣教師。1839年にマカオに派遣される。後、香港、上海などで医療伝道活動を続けたが、1859年に健康を害して帰国した。『全体新論』のほか、『西医略論』(1959)、)、『婦嬰新説』(1858)、『内科新説』(1858)などの著書がある。こうした漢語で書かれた本は日本においても読まれ、幕末から明治の医学に影響を与えた。その挿図はヴェサリウス以来の構図で描かれていて、西洋風の人物による人体図である。


 
14.虞列伊氏解剖図譜                        リストへ   

  明治9年(1876) 復刻版    ヘンリー・グレイ: 『解剖学』1858年原著    松村矩明: 訳 
   松村矩明が明治5(1872)年に大阪医学校官板として翻訳出版した『解剖訓蒙』は図版の評判が悪く、この不備を補おうと出版されたのが『虞列伊氏解剖訓蒙図』だといわれる。イギリス人ヘンリー・グレイの『解剖学』(1858年初版)の第5版の図譜を銅版で翻刻した乾坤2冊は折帖仕立てになっており、最高水準の線刻銅版技術によって描かれている。同じ頃、『布列私(フレス)解剖図』(上下2冊)も出ており、わが国の西洋医学教育に役立てられた。



15.解剖摘要図                            リストへ 
 

  明治9年(1876)   松村矩明: 訳   高木玄真: 編集・出版   
   『虞列伊氏解剖訓蒙図』と同じく、松村矩明の訳述で出版された解剖図。アメリカのジョン・ニールとフランシス・ガーニー・スミスの解剖学附図を基にしている。この本も折帖仕立てとなっている。挿図の中には内臓や骨、筋図のみでなく、寄生虫などまで描かれている。「明治8年板権免許」「同9年鐫銅」となっており、高木玄真の識語が最初につき、56丁目にも「高木玄真蔵版」とある。



16.内臓学消食器図・内臓図  写本               リストへ 

  明治16年(1883)   今田束: 講義   小川操: 写 
   これは、医学生の講義ノートである。巻末に「明治十又六年四月十九日ヨリ 湯嶋ノ済生?学舎ニ於テ 桂園小川操忽記」とある。注記は筆文字だが、図は筆ではなく、鉛筆と色鉛筆で書かれており、美しい図が整然と描かれている。『内臓学消食器図』は枠線なしの白い和紙に書かれているが、『内臓学図』の方は紺色の枠線を持つ用紙に書かれている。明治とあるが、紙の様子は新しく見え、もしかすると複製を作ったのかもしれない。 


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